I saw a landscape

2020年

I saw a landscape (solo exhibition at void+ Tokyo)

侵食の風景—オラニエンブルグ/2019年/1000×3050×W.30mm(各1000×1500×W.30mm)/アルミニウム、UVプリント(ベルリン・オラニエンブルグ強制収容所跡周辺の写真)

侵食の風景—富岡町/2020年/900×600×H.1500mm/アルミニウム、スチール、UVプリント(福島県・富岡町帰宅困難区域周辺の写真)

不在のまま/2019年/(各)148×105×H.15mm/ポストカード、アルミニウム、合板

侵食の風景—世田谷の桜/ 2020年/430×645×W.20mm/アルミニウム、UVプリント(緊急事態宣言直前の世田谷、桜並木の写真)

無名-6/ 2020年/280×280×W.20mm/アルミニウム、UVプリント(17~18世紀の骨董皿の写真)

I saw a landscape (アイ・ソー・ア・ランドスケープ)

東京郊外の住宅街で生まれ育った私の原風景は、高度経済成長期の風景である。周りの環境が効率的で均質な方向に変化し開発されていく中で、かつての風景が見えない残像のように残っているのを見た。
そもそも世界は「不可視性」に充ちている。例えば素粒子、放射線、電磁波など科学的に解明されているもの。時間や間のような概念や意識から生じるもの。また歴史、制度、社会構造の中で表出しない力などである。しかし現代において「不可視性」に対する意識は、際限なく生み出される「可視」情報に埋没し希薄になっていく。
それゆえ私は、現代の私たちを取り巻く「不可視性」と個人、社会、歴史、環境との関係性を、視覚芸術として浮上させたい。消え、過ぎ去り、見えなくなったものへの意識を探求していきたい。

私は風景が包含する不可視性、及び風景とそれにより形成された個人のアイデンティティとの関係性に焦点を当て様々な場所を訪れ、作品を制作してきた。
例えば、福島の帰宅困難区域周辺の風景。日々の生活が繁茂する草木に覆われ、埋没していくのを見た。ベルリンのかつて壁に遮られていた場所。そこにあったはずの壁の代わりに、公園でピクニックを楽しむ人たちに出会った。強制収容所跡。かつてここから誰かが眺めていたであろう視線をなぞり、塀の外の木々や新緑を眺めた。
これらの風景を通して私の中に去来したのは「無常観」であった。過去の事象と同じように、今、目の前に広がる日常もまた時間の流れと共に変化し、やがては見えなくなっていく。何の痕跡や手がかりも見えない場所に存在した歴史や、時間事象の折り重なりを想像するのは困難に思える。私はそのような風景をさらに削り取る。出現したボイドは、想像力を発生させるというよりはむしろ、想像力を暴力的に遮断するものかもしれない。遮断され侵食された世界に映し出されるのは、私たち自身や、私たち自身がつくってきた世界である。そしてその先に、私たちはどのような風景を見るのだろうか。
Jan.2020

追記:
当初予定していた会期の間、作品は展示されたまま、結局一度もオープンすることはなかった。
新型コロナ感染症の影響による、東京都、首都圏3県の外出自粛要請、その後に発令された日本政府の緊急事態宣言と重なったためである。不可視性をテーマに作品を制作してきたが、まさに不可視な展覧会となってしまった。
ぽっかりできた時間で、この状況を反映させた新作を制作しようと思った。
東京はちょうど桜が満開の時期であった。