侵食の風景ーベルリン

2019年

1.侵食の風景— 収容所跡から/2019年/3000×1000×30mm/アルミニウム、UVプリント/GlogauAIR /

ベルリン、ドイツ

2.かつて壁があった場所から/2019年/1500×1000×30mm/アルミニウム、UVプリント/GlogauAIR /

ベルリン、ドイツ

3.侵食の風景— かつて壁があった場所から/2019年/1300×1000×740mm/アルミニウム、UVプリント、薪/GlogauAIR /ベルリン、ドイツ

ベルリンには戦前戦後の目に見える遺産が多くある一方で、記録にも残らない、今では目に見えない風景がある。私はベルリンでの滞在においてこのような風景をリサーチした。なぜならそこに流れていた時間や、無名の人々の関わりの折り重なりは目の前に広がる風景を見ているだけでは見えてこないと思ったからだ。

私は、かつて壁に遮られていた風景、収容所や旧空港から誰かが視線をなげかけていたかもしれない風景など、或いはその痕跡や手がかりさえない風景などを撮影した。

そこにあったはずの壁の代わりに、或いは向けられていたかもしれない視点の先に見えたものは新緑や花々、川や公園でピクニックを楽しむ人たち、店舗やアパートメント、グラフィティ、工事現場などごく日常的なベルリンの風景であった。

そして、このリサーチを通して本間の中に浮かんだのは「過去の事象と同じように、今目の前に広がる日常もまた時間の流れと共に変化し、やがては見えなくなっていく」という仏教の自然観を表した「無常」という言葉である。

東京オリンピックでの再開発、震災後の福島の風景においても私は同じようにこのような印象を受けた。

私は「何も写っていない」写真をもう一度見えなくすることで、不可視なvoidを持つ風景を作りたいと考えている。歴史が陽の当たる部分と、それ以外の埋もれていた部分でできているように。それを見るにことの困難さは、現代の風景に無名の時間事象の折り重なりを見る困難さに似ている。しかし同時にvoidは今を浮かび上がらせ、新しい視点を風景に向けるための装置にもなるのだ。